なぜヤンデレ少女は凶器を握るのか
ツンデレ、クーデレなど様々な萌え属性がある中で私は「ヤンデレ」を推している。
これはネットでもリアルでも隠していないし知っている人も多い。
ある日私が机に置いてあったカッターを何気なく持った時に友人が言った
「あ、ヤンデレじゃん」
いつから「ヤンデレ=刃物(凶器)」となってしまったのか。
実際Googleで「ヤンデレ」と画像検索してみると、凶器を持った少女(たまに青年)が血に塗れている画像で埋め尽くされている。
そしてそのような画像を見たオタク達が「ヤンデレ最高」などと叫ぶのである。
少し考えてもらいたい、それは果たして本当に「ヤンデレ」なのかと。
ヤンデレの良さとは
元々ヤンデレと言うのは、好きな人を「想いすぎること」や、相手や自分に対しての「不安」等が積み重なって狂気に走ってしまうことである。しかしこれはすべて相手とのことを考えた上での行動。愛ゆえの過ちということだ。
その結果「自分、想い人、恋敵を殺める」ということに行き着くのである。
当然殺めることをしないヒロインも多く存在する。
そうした葛藤、一途な愛を見て初めて「ヤンデレ最高」と私達は言うことができる。
なぜ「ヤンデレ=凶器(血)」となってしまったのか
ではなぜ「ヤンデレ=凶器(血)」となってしまったのか、それは
「一枚のイラストではヤンデレを表すことが出来ない」からだと考えられる。
前述した通りヤンデレの主な良さはその「過程」だ。しかし、それをたった一枚イラストで表すことは非常に難しい、だから「殺める」という結果・行動だけが目立ってしまう。だから今日もヤンデレ少女達は凶器を握り血に染まるのだ。
ヤンデレを見つめなおす
勘違いしないで貰いたいのは「私は凶器を持つヤンデレを認めないわけではない」ということだ。
しかし凶器を持ち、血に染まっただけの少女はヤンデレだろうか、いや違う。
それはタダの気が狂った少女であり、殺人鬼で犯罪者だ。
私はジェイソンには萌えないし、チャッキーを推さないし、チカチーロに恋はしないのだ。
私が好きなのは、想い人との未来を信じ、夢を見て、少し過激とも言える行動を取ってしまう純真な少女なのだ。
長文となってしまったがコレを期にもう一度「ヤンデレ」について見つめ直してもらいたいと思う。
たとえ血に染まっただけの少女のイラストを見たとしてもその背景、ストーリーを自分の中だけでも考える事ができればあなたも心から叫ぶ事ができると思う。
「ヤンデレ最高」